おもちゃ業界②~コロコロ×ミニ四駆が到達した玩具業界の頂~ | 世界でエンタメ三昧【第44回】 – TORJA Japanese Magazine

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1977年スポーツカーブームからの車模型の躍進

模型の歴史は「駆動性(動かせる)」と「リアリティ(デコれる・展示できる)」のはざまをずっと挑戦し続けてきた歴史です。リアリティを追求した船や戦車といったミリタリー模型は観賞用で、カラーリングも含めて展示するために置かれてきました。

逆にGIジョーに代表される動かせる人形となると、耐久性や可動域の多さこそ重視されるものの、逆にリアリティ部分では限界がありました。ホビーを求める大人たちは常に「リアルだけど動かせる」ものを追求し、常に新しい模型・玩具を求め続けてきたのです。そうしたニーズの一つの完成形の極致がミニ四駆だったのではないかと私は思います。

図1はプラモデル産業の年度別出荷額です。81〜83年が初代のガンプラブームですが、模型業界全体でみれば90億程度から100〜140億と1.5倍程度に売上がのびたにすぎません。

その後、1986年から突然300億、そしてうなぎ上りにあがる市場は1989年で450億超えを迎えます。たった5年で市場を4倍程度まで押し上げた立役者、それこそミニ四駆なのです。


1970年代までラジコンは青年・大人向けの敷居の高いプラモデル玩具でした。バッテリーと充電器をあわせると3.5万円、さらに組み立て工程にも電気・工具に関する知識が要され、完成品に仕上げるための難易度が高い。

ただ、兆しは70年代後半から起こり始めます。まずは1977年「第22回東京モーターショー」に100万人が詰めかけ、漫画『サーキットの狼』などがきっかけでスーパーカーブームが起き、ランボルギーニ、フェラーリといったスーパーカーのプラモデルが大流行しました。

時を同じくして宇宙戦艦ヤマトがあり、第41回で特集したようなガンダム人気もあり、1980年末にはタカラのチョロQが年間1000万個を売る大商い。80年代前後は玩具メーカーがどこもかしこも車・ロボット・SFに殺到した時代でした。

1980年代コロコロが築く少年たちの流行黄金時代

そもそもこうした少年達のブームの火付け役として雑誌『月刊コロコロコミック』の存在は欠かせません。宇宙戦艦ヤマトの影にアニメ業界・雑誌『アニメージュ』などがあるように、こうした低学年向けのヒットは、同じく1977年創刊のコロコロによって担われることが大半でした。

『ビックリマンチョコ』しかり、『ハイパーヨーヨー』しかり、『ベイブレード』しかり。少年ジャンプのピークが653万部(1995)※現在は220万部強、それに対してコロコロコミックが200万部(1998)※現在は90万部。

10~30代以上という幅広い読者層をもつ青年層向けのジャンプに対して、小学生という限られたパイでのこの発行部数は、学年誌で長いこと一定セグメントを完全につかむ高シェア戦略をとってきた小学館ならではの、ノウハウの塊でもあります。

コロコロ全盛期の80年代というのは特別な時期です。14歳以下の子供人口は戦後を除くと団塊世代の子供たち、つまり1980〜85年は3000万人弱と日本で最も子供の多い時代でした。

それが2200万(90年)、1800万(2000年)、1700万(2010年)ときて、2020年にはちょうど半分の1500万人になる見込みです。半減している子供人口に加え、雑誌から動画/デジタルへの推移のなかで、いまだ90万部を保つコロコロは異常に高いシェアをもつ雑誌でもあります。

子供が購買せずに輪読することを考えると、小学生の網羅率ではコロコロに代替するものは存在しません。その存在感ゆえに、ミニ四駆のような爆発的ヒットを生み出せた、ということもあります。

1980年代に入り、「大人向けラジコン」はファミコンをベンチマークとした価格戦略をとり1万円以下の低価格機体が出始めます。その折、コロコロも「コロコロラジコングランプリ」などを開催し、ファンイベントを開催します。実はコロコロにとってもミニ四駆は象徴的なヒット作であり、この経験をもとにビジネスモデルは完成しています。

すなわち「マンガ→ホビー(玩具)→イベント」の流れで流行自体を作り出す成功パターンモデルです。イベントはこのラジコングランプリを皮切りに、「コロコロまんがまつり」、「ファミコンキャラバン」、そして「ミニ四駆ジャパンカップ」へと展開していき、それが現在も20万人近くを動員する「次世代ワールドホビーフェア」へと繋がっています。

1986年、漫画とイベントでホビーが爆発する瞬間

ミニ四駆ブームは漫画から始まります。レーサーミニ四駆シリーズの発売は1986年開始、『ホットショットJr』の発売から少し経って、コロコロ『ダッシュ!四駆郎』が連載を開始すると瞬く間にミニ四駆は1000万台を突破。翌88年には「第一次ブーム」となります。図2では「ミニ四駆ジャパンカップ」参加者の推移を見ますが、この時点で10万人弱。89年には四駆郎がアニメにもなります。

一次ブームが終わるころの91年に累計6000万台。ここに第2段目のロケットがさらに用意されていました。1994年『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の連載開始、 93年は1万人まで落ちていたジャパンカップも94年に2万、95年10万、そして96年に円熟期を迎えて歴史上最高となる30万人動員までのぼりつめます。

この時点でコミックマーケットとほぼ同数が来場したことになります。97年末に累計1億台。そこからしばらくブームが引けて、2012年に1億7千万台。


なぜラジコンで出来なかったブームが、ミニ四駆ではできたのか。要因はいくつもありますが、商品固有のものだけでいえば、1つは価格。1万円を超えるラジコンに対して1,000円以下のミニ四駆は圧倒的なディスカウンターとしてラジコンに近い体験をつくりました。2つめにレース・サーキットコースの多さ。

ラフロードなど自由に動かすラジコンは1人プレイが主体となるのに対して、ミニ四駆は多種多様なレース、コースでバトルを中心としたPvPコンテンツです。さらに速さという能力だけでなく、装飾などの「魅せる」楽しみも兼ね備えます。差別化の大きなポイントは「操作性」を捨てたことだと思います。

ラジコンにある操作を捨てることによって無線回路を必要とせず、こうした価格を実現できた。そもそも子供は「見せびらかし」と「バトル」さえあれば、「操作性」はなくても「セッティング戦略」のみで十分に楽しめる。それを実現したことがミニ四駆の凄さでもあります。

ヒットは常に2〜3年で廃れます。「君の名は。」が登場した後は「アナと雪の女王」がだいぶ昔のことだったように、ポケモンが生まれ、遊戯王が生まれ、ベイブレードが生まれた後においてミニ四駆は忘れ去られた存在となり、1999年には10年以上続いたイベントも閉幕します。売れすぎた俳優のように、ヒットにとってはいかに栄華の後にも一定ユーザーの心をつかみ続けるかが大切です。ガンプラのように30年以上も売れ続けるというのは普通のプロセスでは起こりえません。2002年「ガンダムSEED」のように中興の祖がつなぎ続けたからこそ、これだけの長寿を保っているのです。

89年、96年と玩具史に残る大波を残したミニ四駆は、当時10代だった今の20~30代をターゲットとして今新しい試みに向かいつつあります。第三次ブームという形で、2012年以降ジャパンカップが再興しているのです。今度は小中学生限定ではなく、年齢制限のないイベントです。2015年には『シャーマンキング』作者の武井宏之氏による『ハイパーダッシュ!四駆郎』も連載を開始しています。

3度ブームを起こせれば本物。そのときに親子2代にわたってのコンテンツとなり、さらに10〜20年といったミニ四駆の長寿も保証されることでしょう。80年代コロコロのような一定セグメントすべてが見ているようなメディアがなくなってきた今、急激な上昇気流は望めなくても、こうして着実にブームの種火を大きくしていくような新しいヒットの形が生まれるのではないかと思います。


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中山 淳雄

ブシロードインターナショナル社長​。リクルートスタッフィング、DeNA、​デロイト​を経て、バンダイナムコスタジオでバンクーバー、マレーシアで​新規事業会社設立後、現在​シンガポールにて日本コンテンツの海外展開中。東大社会学修士、McGill大学MBA修了​、早稲田大学MBA非常勤講師​。​著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)他。






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